浅谷 哲生 代表取締役社長
浅谷 哲生 代表取締役社長
高谷 政行 営業2課 課長
高谷 政行 営業2課 課長
伊藤 直之 CAD課 エキスパート
伊藤 直之 CAD課 エキスパート
海道 宏信 CAD課 課長
海道 宏信 CAD課 課長
創業から30年。社長を含め、設立当初から会社を支えてきた4名が
当時の思い出話やエピソード、進むべき未来について語ります。
社長 : BKTはバブルが崩壊する直前に創業したので、その恩恵を受けていないんだよね。いきなり大変な時期に突入した感じで。銀行の営業時間が終わった後に、私と会長で銀行の担当者に融資のお願いをしたこともあった。
高谷 : 当時の会長と社長の様子を見て会社が大変な状況だと感じていたけど、聞くわけにいかないし。
社長 : 経営が厳しくなって事務員の女性を雇っていく余裕がなくなったこともあった。そのことを本人に伝えるのが本当に辛かったね。伝えた後に私が暗い顔をしていたら、「あなたがしっかりしないとダメなんだよ」と激励を受けたことが今でも忘れられない。
海道 : 現場としては最初アイアンワーカーだけをやっていて、その後にレーザーをやり始めた時期。
伊藤 : 当時は図面がないと現場にカットしてもらえなかった時代だね。
社長 : クライアントが図面を持ってきて、カットが仕上がるのをその場で待ってもらったこともあった。急いでやらないわけにいかない状況で、今の短納期の社風はその時代の名残でもある。
海道 : 当時はクライアントから短納期の依頼も多かったので、夜中まで仕事をすることも結構あった。
伊藤 : その日に終わらないことも多かった。今の時代では考えられないやり方だった。
社長 : 限られたクライアントだけの下請けをしているとどうしても無理な依頼を受けざるを得ない。その立場から脱却するために試行錯誤をしてきた。
海道 : ステンレス鋼材のカットを主力にし始めてから仕事のやり方が少しずつ変わってきたんだと思う。
社長 : 大手のクライアントだけじゃなく、幅広いクライアントと付き合いを始めて、いい意味で“浅く、広い仕事”をやるようになったね。
高谷 : 創業当時の思い出といえば、会社が経営的に大変だった時期に社員旅行でハワイに行ったよね。
社長 : 今思うとよく行ったと思うよ、あの状況で(笑)。あれは会長の意向でね。会社が大変な時期だからこそ借金してでもみんなを連れて行きたいって考えで。当時は理解できなかったけど、経営者になった今は会長の思いがわかる気がする。
海道 : でも楽しいことがあったからがんばろうとも思えた。恩返ししてやろうっていう気持ちになった。
高谷 : 仕事は大変だったけど、がんばった分だけ給与に反映される時代でもあった。だから続けてこられた。
社長 : 一番会社が大変だったのはリーマンショックの直後だろうね。このままいくと3カ月もたないという状況までいってしまったから。
伊藤 : バブル崩壊後も大変だったけど、リーマンショックも大打撃だった。
社長 : 当時、私はここにいるメンバーを部長職から外してしまった。思い出すとつらい決断。その理由としてもちろんリーマンショックという外的要因もあるけど、社内体制を見直す意味もあった。みんな職人としていい仕事をしてくれる。でも、それと管理職を任せることを一旦切り離して考えたいと思ったことも理由のひとつ。
高谷 : その頃、会社の雰囲気も良くなかった。仕事を受注して工場に割り振る事務員と現場の技術者の仲がギスギスしていた。
海道 : 私は事務員と現場の技術者との板挟みになっていた。思い出すと精神的にきつかった。
社長 : それでも結果的に乗り切ることができた。製品の値段を見直し、人材教育も見直して組織力を高めることに力を入れた。事務と工場の対立もなくなって、仕事がスムーズに流れた。リーマンショック後に受けた国の支援も大きかったと思う。
伊藤 : 大変な時期だったけど、いろんなことが功を奏し、もう一度良い方向へ軌道修正できたんだよね。
海道 : 辛いこともたくさんあったけど、不思議と会社のことが嫌いじゃない。今は企業で何かつらいことがあるとブラック企業と言われる時代だけど、自分はそんな風に思ったことがない。なんだかんだ言ってもBKTが好きなんだと思う。
社長 : このメンバーは実は高校や中学の同級生。今は退社していないけど元社員のSさんの共通の知人という縁で、BKTが株式会社化する前の会社でアルバイトしていたんだよね。対立することもあったけど根底ではつながっている感じがする。だから、乗り越えられた。
社長 : 会社が転換するきっかけとなったのが専務の入社が大きい。それまでは職人気質な考え方が経営のベースにあった。
高谷 : でも、それではだめだと気づかせてくれたのが専務。
社長 : 当時は「良い製品が一番の営業」というプライドがあった。お客様がそれを評価し、人づてに仕事がくると考えていた。実際にその側面もあったしね。
海道 : 今考えると、それではだめなのは明らか。それでは発展は望めない。
高谷 : そんな状況を見直して営業部隊や「一刀両断」という幹部会をつくったのは専務。社内体制を見直しつつ、取引先としてさまざまな会社にアプローチしだした。
社長 : 創業当時、BKTの仕事は個人主義的だった。クライアントの打ち合わせから始まり、図面を描いてカットして、梱包まですべてを個々がトータルでこなしていた。値段だけ会長と自分が付けていた。
伊藤 : そんな体制から組織化するのは大変。だれかに頼むより、自分でやったほうが早いっていう世界だったから。
社長 : まず、この人でなければできないという技術の独占をやめるようにした。技術をオープンにしたことが良かった。
海道 : 社内体制を見直すという意味では伊藤が会社のシステムを整えてくれたことも大きいと思う。
社長 : BKTの最初の生産管理システムは伊藤が築いてくれた。他社で生産管理システムを導入し始める前に先駆けての導入だった。そのシステムができたから納期管理ができるようになった。
海道 : あのシステムがなければ客先も増えなかっただろうね。BKTの特徴である短納期もスムーズになった。
社長 : 短納期を実現できたのは、伊藤のシステムがあったからだと思うよ。システムを築くのは大変だったんじゃない?
伊藤 : どうだったかな、忘れちゃったな(笑)。大変だったことを覚えていないんだよね。趣味としてプログラミングが得意だったから、それを生かしてみんなの要望に応えただけで。
社長 : 忘れちゃったとはかっこいいこと言うね(笑)。でも実際は大変だったと思うよ。自分の業務をこなしながら現場の生産管理体制を整えることは簡単じゃない。スピードも早かった。専門のメーカーに頼めば時間もかかっただろうし。
高谷 : 生産管理システムが無かった頃は全員が忙しすぎて、情報を共有できていなかった。ストレスや業務の無駄が多かった。生産管理システムがそういったモヤモヤしたものを一気に解決してくれた。
海道 : みんなが考えていた「こうなったらいいな」という思いを全部具現化してくれたと思う。
社長 : 人を育てて、組織力を強めることが最優先だと思っている。だからと言って組織ありきでポストに人材を当てはめていくというのは違うと感じている。
海道 : そのポストにふさわしい人材を育成しないと。
社長 : 良くも悪くも、私たちが若い時とは価値観が違うけど、希望としてはもっと上司や先輩に話しかけて要望や不満をぶつけてほしい。会社としては若い人に仕事をふって任せ、人材育成を進めていきたい。ただ重要なのは “同じことをしていても未来は変わらない” ということ。違うことにチャレンジすれば明日が変わってくる。BKTはクライアントの幅が広い分、一品一様のような個性的な案件も多く、それに対応できる人材を育てていきたい。
伊藤 : 経験から得たことを伝えていくことが一番難しい。人が増えて仕事が細分化されている分、次の工程をイメージしづらいっていうのもあるし。先輩の背中を見て仕事を覚える時代じゃなくなったからね。先輩たちがうまく伝えていかないといけない。
社長 : BKTは若い人にチャンスがある会社。やりたいことがあったら “言ったもん勝ち” みたいなところはある。経験豊富な層が、そのアイデアが実現可能かジャッジする。採用されないこともあるけど、発言しないと何も生まれてこない。
優秀な人材が育ち、社内の体制が整ったら、さらに事業エリアの拡大を視野に入れたい。製造工程としては曲げ加工を強化し、短納期という面でもさらにクライアントの要望に応えていく。若い層にはそのビジョンを担って欲しいと思う。これまでの枠にとらわれず。自由な発想で仕事に取り組んで欲しい。